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戯言日記20221025

図書館生活続いております。

図書館で気になるノンフィクション系の本を片っ端から借りて読んで思うのは、いくつになっても勉強はできるし、いくつになっても勉強は楽しいということですね。
学生時代は「勉強すること」とはどういうことなのか、「勉強の楽しさ」とはどういうことなのかをわかっていなかった。だから使い古された言葉ですが「あの時もっと勉強しておけばよかった」と思うのです。

では勉強するとは何なのだろう。
勉強とは「ありとあらゆるものに興味を持つことの取っ掛かり」を知るための手段なのではないかと思うのです。
世の中森羅万象自分が興味を持てる対象がどれだけあるのか。てか、存在すら知らぬことが幾数多あることか。知らない事柄に興味を持つことは不可能です。だから世の中にはこんなにも面白いことがたくさんあるのだと知るきっかけが必要なのです。
それが図書館の役割なのでしょう。
森羅万象あらゆることがここにある。それに対して片っ端から取り組み、興味が沸けば読み進め、そうでなければ取り換える。知らなかったことを知ることで、興味の対象が広がり増える。それこそが「勉強」なのではなかろうかと今更になって思うのです。

そういうことを「勉強」だと学生時代は思ってなかったのですね。いわゆる「受験勉強」が勉強だと思っていたから、勉強が面白くなかったのですね。
興味を持ったものに対して調べるのは、昔から好きだったんですよ。自分だけの百科事典を作るのが好きだったのですよ。ノートにせっせと書き込んでいたのですよ。
それこそが勉強なのだと、あの頃の自分に伝えたい。

まあ学生時代に戻れるわけでなく、今は今で今を楽しみましょうか。
何かの役に立つため(必要に迫られたもの)ではなく、新しい何かをインプットする、ただそれだけを楽しむのです。
そのために図書館にせっせと通っています。

ところで図書館には雑誌もあるのですね。
うわあ、また開けてはならぬ扉を開けてしまったような。
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戯言日記20221009

どうも僕はワーっとパーっと派手で賑やかな場所が苦手なようです。

気になっていたイベントがあったので、を覗きに行ったのです。会場に着いた瞬間、ちょっと嫌な予感。これは苦手なパターンかもと思いつつも、各ブースを覗いていましたが、30分くらいで限界でした。むむむ。

他のみんなが賑やかに楽しんでいる様子を、端っこから眺めるのが楽しい場合もあるのです。
でも賑やかな輪の中に入れない疎外感のような気持ちがわき立ち、猛烈ないたたまれなさを感じることも多いのです。いやはや。
こういうのがコミュニケーションが苦手と称する部分でしょうね。

なので、僕みたいな人でも参加しやすい場を考えて企画するのです。ふらっと来て、何となく居て、ふらっと帰ることのできる場所。ワーっとパーっとしてなくても参加できる場所。みんなの中でひとりで居られる場所。
そんな場所が欲しいから、そんな場所を作るのです。

戯言日記20221001

「つんどく亭の夜」初回が無事に終了しました。
ただ本を読むだけの場所が欲しい。自己紹介も本の紹介もしない、そんな読書会がしたい。そう思い企画しました。
当日来られた方は、本当に各々好きな場所で好きなように本を読むだけ。お茶とお菓子も勝手にどうぞと置いておき、好きな時に来て好きな時に帰る。
なんとも自由でのんびりした時間を過ごしました。

自分のことを紹介しない、他人の紹介も聞かない。でもここに居る人たちは本を読むことが好きなのは確かだろう。そこにある安心感。

その安心感をマイノリティカテゴリでもできないかと考えるのです。
マイノリティがマイノリティと意識せずに居られる場所。繋がりや相談ではない場所。そこでただ本を読むというのはどうだろう?

マジョリティは自分のことを話さなくても、周りと自分のカテゴリが同じと当たり前に思える。
でもマイノリティはその思いを持ちにくく、当たり前の安心感を得にくい。
マイノリティの集まりだけど敢えてそのカテゴリのことを話さず、でも周りの人は自分と同じという安心感。自分と相手のカテゴリをわざわざ確認しなくてもいい安心感。
それはマジョリティにしか得られないものではないはずです。
だから参加者資格にマイノリティカテゴリを設定することで、その場に集まっている人は自分と同じカテゴリに属していると自然にわかる。ここでは本を読んでいるだけでも、共通のマイノリティカテゴリである安心感も得られる。
そんなことができるのではないかと思ったのです。

マイノリティの集まりはどうしても、同じカテゴリの仲間と出会うことや、マイノリティ故の悩みを打ち明けたり相談することや、マイノリティの存在を社会に知らしめることが目的となりやすい。
それはそれで大切で必要なことです。
でも、ただそこに居るだけでいいという場所も欲しいのです。

「つんどく亭の夜」は始めたばかりの企画なので、これからどのような形になるかわかりません。
でも初回を終え、ただ同じ場所に居ることの楽しさを感じることができました。
このやり方は可能性を持っているとも感じました。なのでマイノリティ限定のものをやってみたいなとも考えています。
さて、そうなると相談者や協力者も必要となりますし、どのように当事者に伝えるのかも問題になります。まあゆっくり考えていきますか。

戯言日記20220929

図書館生活続いています。
気になる本を気安く借りて読めるというのは、こんなにも楽しいことなのかと今更ながらに驚き喜んでいます。
新聞などで気になる本があれば、すぐさま図書館の蔵書検索で調べてブックマークしたり、場合によってはその場で予約したり。
返却までの期間が決められているので、読める量を計算しながら予約するのもまた楽しいのです。

図書館までは自転車で10分弱。それもまたいい運動になるのですね。何せ家と店が一緒だから、下手するとほとんど歩いていないということにもなりかねないのです。運動不足解消ですよ。

図書館で借りる本は基本的にノンフィクションのみと決めています。今気になる話題について書かれた本を片っ端から読み、いいなと思った本は後ほど購入して資料として並べておく。そうか図書館はこのように使えるのかと目から鱗が落ちる思い。

でもたまにフィクション(小説)も借りてしまうのです。大抵は新着図書のコーナーに並んでいるもの。
新着本はそれこそ今を映すものなのでマメにチェックするようにしているのです。そうするとノンフィクション以外も目に入っちゃうのですね。そうなると読みたい気持ちが高まる。1冊だけだからと手に取る。借りる。そんな訳です。

戯言日記20220921

僕は人付き合いが苦手です。コミュニケーションが下手くそです。
昔から友達を作ることが苦手で、自分から他人に働きかけることが苦手で、大勢の人たちと盛り上がるのが苦手なのです。

それなのに昨日、近所の人が集まってお酒を楽しんでいる場に、誰に誘われたのでもなく自分の意思で顔を出したのです。
そして挨拶だけで帰ることもなく、その場で一緒に楽しく過ごしたのです。
少し前なら考えられないようなことです。自分でもびっくりですよ。
何かに参加しようと会場までは行くのだけど、そこの賑やかな声や様子に構えてしまいドアを開けずにそっと帰るということが、過去に多々ありました。
それなのに、ここ最近少しだけ変わりつつあるのです。それはこの町が持つ力であり、この町に住む人たちの力なのでしょう。僕はその力に支えられています。
だからこの町に寄合所のような場所があればいいのになと思うのです。

人付き合いが苦手なくせに、いやだからこそかな、人が集まる場を作りたいと思う気持ちがあります。
平日の夜に近所のお店が集まって夜市がしたいと思ったり。ただ本を持ち寄って個々で本を読むだけの場所を作りたいと思ったり。
そしてこの町はやりたいなと思ったことが適う町なんですね。
場所ができたら、自分はそこの端でその場所を楽しむ人たちを眺めるのが好きなんです。場所の中心で楽しむのではなく。そこはまだコミュニケーションの下手さなのかもしれません。いや、それもまたひとつのコミュニケーションなのでしょう。

新刊書店、古本屋、図書館、出版社などの本に関わる人たちの懇親会があればいいのになあと思うのです。ライバルとか敵対関係でなく、本の魅力を伝える仲間として横の繋がりができたらいいのになあと願うのです。
これはやはり人付き合いが苦手だから、こちらから働きかけるのが苦手だから、そういう場があればいいのにという想いです。でも結局その会場で誰にも声をかけられずに終わるかもしれないのですけどね。
でも、こんな場所があればいいなと思うのです。
誰かやってくれないかしらん。
プロフィール
大阪市阿倍野区にある 10代の心を刺激する古本屋「大吉堂」です。

大吉堂

Author:大吉堂
「10代の心(実年齢問わず)を刺激する本」を扱う古本屋。
〒545-0021
大阪市阿倍野区阪南町3-12-23

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